パーティが始まってまだ10分も経たないのに、メディオンはうんざりしていた。
 正確には、始まる前から----いや、王宮でパーティを開くから出席するように、と皇帝から言われたときからうんざりしていた。ちなみに、なんのパーティかは忘れた。メディオンにとって、パーティ=嫌な思いをするところ、に相違ないからだ。
 と、いうわけで、皇帝に命じられた日からメディオンは鬱々と日々を過ごし、とうとうパーティ当日を迎えたわけだった。こうなったら早く終わってしまうのを祈るばかりだが、昔から言われている通り嫌な時間は長く感じるもので、メディオンにはこの10分が10時間にも感じられていた。
 会場では隅に控えているのだが、招待客(勿論貴族達だ)の中には、わざわざ嫌味を言いに近寄ってくる者もいる。近寄らず遠くから大声で色々言ってくる者もいる。普段メディオンをいないものとして振る舞ってみせる二人の異母兄達も、そういうときだけは便乗して笑い者にする。いきり立つキャンベルを抑えて、メディオンは総て聞き流す。いちいち気にしていたら心が持たない。
 ここらで皇帝が堂々と登場し、メディオンはやっと安堵する。さすが根性曲がりの貴族達でさえ、まがりなりにも皇帝の子息である彼を、父親である皇帝の前で侮辱したりしないからだ。勿論、同じ皇帝の息子である異母兄達は例外であるが、どちらかというと徹底的に無視する方が多い。
 忠実なキャンベルと共に壁際でグラスを傾けつつ、メディオンはパーティに来ている人々をぼんやりと眺める。途切れ途切れに彼らの会話が耳に入ってくる。

 ----お聞きになりまして? ▲様のお嬢様が、●様のご子息とご婚約とか…
 ----●様のご子息といったら、あれざましょ? お父上譲りの酒乱だそうで…
 ----おまけに母親は息子にべったりですしね。きっと嫁いびりも激しく…
 ----ですけど、▲様のお嬢様も、あれでなかなかお派手らしくて…

 ----■のやつめが、この前取引でウン千万損したんじゃが、それについては、ワシも一枚噛んどったんですわ…
 ----ほう。どういうことですかな?
 ----ワシはやつの相手が詐欺師だと知っておったんだが、■には教えんかったんですわい…
 ----ほう! そいつはいい! やつめ、私が失敗したときは人のことをさんざん笑いおったからな! ざまをみろだ…
 ----まったく! ワシもその詐欺師に引っかかったんじゃ。誰かを道連れにせにゃ気が済まんでな。あいつならちょうどいいと思って…

 ----彼はどうしてあんな女と付き合ってるのかしら? 私の方がよっぽど美人だし家柄もいいしそれにスタイルだって…
 ----あの娘、男の人の前では猫被るのよ。だからみんな騙されるの。したたかな女よ。見てらっしゃいな、いつかきっとぼろを出すから…

 ----あいつ、すっかり玉の輿に乗るつもりでいやがる。冗談じゃないぜ! 確かに可愛い顔してるし身体も上等だけど、あんな……な女と結婚なんてするかよ。愛人で充分だろ…
 ----だよな。最近勘違いする女が増えて困るよ。庶民の女なんて、お情けをかけてもらっただけ有り難いと思えって…

 聴いていて、メディオンは頭が痛くなってきた。同じ人間とは思えない。彼らの口から出る呪詛は空気までも濁らせる。男も女も着飾っているが、服の中身はモンスターにも劣る。
 キャンベルの方を見やると、彼もうんざりしているようで、二人はどちらからともなく歩き出した。開け放している窓から中庭に出る。
 職人の手により見事に手入れされている庭を眺めて、ほっとするのもつかの間、
「…メディオン様…」
 背後から、慎ましやかな声がかかる。
 振り向くと、先ほど別の女性を「したたかな女」と評していた彼女だ。
「なんでしょうか?」
 最低限の礼儀で----というのも、先ほど耳にした話を思い出すとどうしてもこの女性に笑顔で接することはできなかったが、あまり無礼な態度を取るのも性格上出来ないので----メディオンは応じた。
 かの女性は、先ほどの口調が嘘のように思われるほどしとやかに、
「少しお話しして構いませんこと?」
 と頬を染めた。
 貴族達はこぞって娘達を王子達とお近づきにさせたがったが、メディオンはその複雑な産まれゆえあまり人気がなかった。いや、むしろ、親達は自分の娘に、メディオン王子とは親しくしないよう言い聞かせていた。皇帝の後継者は二人の異母兄のどちらかと目されていたため、メディオンと懇意にしても益になるどころか害にしかならない、と考えられていたからだ。
 しかし、メディオンのいかにも王子然としたきらびやかな容貌はやはり乙女達には人気で、このように周りに誰もいないときには皆こぞってメディオンの許に来るのだった。
「ええ」
 メディオンは短く答えた。
 そこでキャンベルも加えて3人で当たり障りのない話をしたのだが、その女性がいかにも愛らしく上品な様子なので、メディオンは先ほどの件を少し考え直すことにした。
 メディオンにも気に入らない人物はいるし、その人について誰かに愚痴りたくなることもある。その『誰か』とは、よっぽど信頼し心を許している人物----メディオンにとってみればキャンベルだ----に限られる。結局、彼女達もお互い信頼しあっている親友同士なのだろう。そう考えて、メディオンは少し気分が良くなった。
 そこに、その彼女の親友、つまり先ほど美貌と家柄を自慢していた女性がやって来た。
「あら、ずるいわ。メディオン様を独り占めなんて」
 と言って、話に入ってきた。
 暫くは4人で世間話をしていたが、
「----あの…、少し失礼します…」
 話がちょうどきりのいいところで最初の女性が言い、中に入っていく。
 彼女の姿が見えなくなるやいなや、
「あの娘と何を話してらしたんですの?」
 途中で加わった女性が尋ねてきた。
 その口調に何か不穏な響きを聞き取りつつ、
「別に、どうということはない世間話です」
 メディオンは答えた。
「そうですの」
 彼女は言って、やおらメディオンの方にぐっ、と身を寄せてきた。
「な、何か?」
「----彼女、…気を付けた方が宜しいですわよ」
「はい?」
「大人しそうに見えますけど、実は結構したたかなんですの」
 女性は、ずるがしこく目を光らせてメディオンを見上げた。
「……………」
 メディオンがどう判断したものか悩んでいるうちにも、彼女は続けた。
「この前も○男爵のご子息と浮き名を流したかと思えば今度は△侯爵のご子息----しかも、あの方には婚約者がいらっしゃいましたのにね…その前にも…」
「……………」
 マシンガンのようにまくし立てる勢いに、メディオンは思わず一歩退いた。
「…□伯爵のお嬢様とはしたなくもつかみ合いなさったとか…それに…」
 まだまだ語れそうな雰囲気だったが、巧い具合に話題の女性が戻ってきた。話していた女性は窓に背を向けていたにもかかわらず敏感に気配を察したのか、ぴた、と口を噤み、更にメディオンが呆れたことに、振り向いてにっこり微笑んで、
「お帰りなさい」
 と心から嬉しそうに言ったのだった。
「ごめんなさいましね」
 戻ってきた女性は、上品にグラスをメディオンに差しだして、
「差し出がましいと思ったのですけど、メディオン様のグラスが空でしたので、新しいお飲物をお持ちしました」
「ああ、ありがとうございます」
 メディオンは微笑んで受け取った。
「さすが、素晴らしいお心配りですわ。あなたとお友達で鼻が高くてよ」
 先ほどまでこき下ろしていたのと同じ唇で、2番目の女性は言った。
「では、わたくしもそろそろ中へ戻りますわ。----メディオン様、空いたグラスをお預かりしますわ」
「…ありがとうございます」
 メディオンがグラスを渡すと、美しく----確かに彼女は美しかった----微笑んで、その女性は入れ替わって会場へと入っていった。
「……………」
「……………」
「……………」
 残された3人は暫しそれぞれ思いを抱えて黙っていたが、
「…あの…」
 戻ってきた女性が口を開いた。
「なんでしょう」
「彼女と何を話してらしたんですの?」
「…! ----べ、別にこれといって大したことは…」
「そうですの…」
 メディオンの言葉を信じていないと判る表情で彼女は呟いた後、いかにも決心したという顔つきになってメディオンを見上げてきた。
「あの…こんなことを申し上げるのは大変心苦しいのですけれど…」
 だったら言わないでくれ、とメディオンは思った。
 案の定、いなくなった女性について人間不信に陥りそうなことをしおらしい様子で(でもどこか楽しそうに)メディオンに告げ、くれぐれも気を付けるようにと有り難い忠告までくれて、彼女はやっと中に入っていった。
「……………」
「……………」
 メディオンとキャンベルは無言で佇んでいたが、
「…疲れた…」
 メディオンがぼそっと呟いた。
「まったくですな」
 キャンベルも頷く。
 その後も、次々とメディオンの所に貴族のご令嬢が来たが、何故か皆一人ずつ来ては、自分の前にいた女性について楽しくないことを告げて去っていくのだった。
 そのため、最後の令嬢がそそくさと会場に戻っていったときには、メディオンもキャンベルも危うく人間不信に陥るところであった。
 こんな所早く逃げ出したい、とメディオンは痛切に願った。なぜならこんな目に遭うのは今回が初めてではなく、従って今後も同じような思いをするだろうことは容易に想像できるからだ。
 帝国では、ごく一部の人々を除いて皆----父でさえ----信用できない。表面上は親しげに見えるが、頭の中は打算と欺瞞と裏切りで一杯だ。彼らは友情から共にいるのではない。何らかの益があるから共にいるのだ。相手に価値がなくなればばっさりと切り捨てる。宮廷に来てから、メディオンはそんな例を何件も見てきた。
 こんな環境の中でメディオンが毒に染まらずにいたのは、いま傍に控えているキャンベルの存在、それに他にも信じられる人達----メリンダ王妃や妹のイザベラ、メディオンの祖父母、シンテシスにウリュドやその他下町で共に過ごした幼友達----のお陰であった。
 思えば、母と共に祖父母の家にいたときには、今よりも貧しい暮らしだったがずっと温かだった。相手の幸せを共に喜び、悲しみを共に泣き、皆が助け合い支え合って生活していた。裏切りや足の引っ張り合い、外面だけの付き合いなどまったく無縁だった。
 あの頃のこと、懐かしい人々のことを思い返すたび、メディオンは優しい気分になった。そして改めて、誠実な心からの友情こそが何より大切なものだと思うのだ。

 今回の遠征で帝国から外に出たメディオンは、あの世界----一部の上流階級が織りなす世界がいかに異常であるか再確認した。
 彼ら帝国貴族達は日頃から、帝国で生活できないほどの貧乏人が逃げ込むのが共和国で、正常な感覚を持った人間ならあんな所では暮らせない、などさんざんこき下ろして嗤っていた。なるほど、確かに貴族達の目から見れば共和国は貧乏だろう。だが、それは物質的なものであって、精神的観念からいえば、共和国の人々の方がよほど豊かだ。
 金があっても常に他人を疑ったりバカにしたりする生活と、貧しくても他人に心を開き助け合っていく生活、どちらがいいかと問われれば、メディオンは迷わず後者を選ぶ。
 共和国の民も、その後足を踏み入れた北の地の人々も(ブルザムの仮面は除く)実に誠実で愛情溢れているので、メディオンは非常に感動していた。そんな当たり前のことで感動する彼の姿は、裏返せばいかに彼が異常な世界で生きてきたかの証である。それゆえ遠征軍の仲間達は、メディオンが真っ直ぐ育ってきたことこそまさに感動であって奇跡に近い、と考えた。
 特に、幼い頃から傭兵として、同じような世界で生きてきたジュリアンは、今まで毒に染まってしまった人を何人も見てきたこと、でも自分はそれを反面教師にしてここまできたことを思い、メディオンに強い親近感を覚えた。
 ある日、3軍のリーダーが集って雑談をしていた際、メディオンが言ったことに対してジュリアンはこう感想を述べた。
「あんたは凄いよ。俺も、育った環境からしたらまあマシに育った方だと思うけど、あんたはその上をいくよ、王子。----あんたはまったく毒されたところがないんだな」
 メディオンは驚いた。彼もまた、ジュリアンに対して同じような考えをしていたからだ。そこで慌てて、
「そんなことはないよ、ジュリアン。私など、君に比べたらまだまだ未熟者だ」
「よしてくれ! 俺はそんな大層なモンじゃねえよ」
 この壮大な譲り合いを、もう一人のリーダー、シンビオスは微笑みながら見ていた。彼は二人とは異なる、曲がりようのない環境で育ってきた。そのため実に誠実で素直で心のしっかりした、思いやり深い少年であった。
 シンビオスは、二人がお互い譲り合い続けて息切れしたのを見て、こう口を開いた。
「二人の間でどっちが素晴らしいかなんて、そんなの永遠に決まりませんよ。メディオン王子もジュリアンも、それぞれ違ったいいところがあるんですから。----私は、二人の友人でいられることを誇りに思っています」
 メディオンとジュリアンはシンビオスの方を見、それからお互いに顔を見合わせ、またシンビオスを見た。お世辞や喜ばしでないことは、彼の表情からすぐに解った。本心が口から転がり出たのである。そういうシンビオスの素直さは、歪んだ世界に生きてきた二人にとってオアシスのようなものだった。ジュリアンはにやりと笑い、メディオンは含羞を含んで、
「ありがとう」
 と異口同音に言った。
 お互いを尊敬し合い、喜びも悲しみも分かち合い、万が一道を踏み外しそうになったらきちんと窘める。これがメディオンの考える『友人』であった。そこには打算も欺瞞も裏切りもない。あるのは心からの信頼だ。
 それはまさしく、メディオン、シンビオス、ジュリアンの間に生まれた絆そのものに他ならない。彼らは他の二人を生涯の友として愛し続けていくことだろう。


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