今年の夏は、異常なほど暑い。 普段は涼しいはずのフラガルドも、ここより北にあるマロリーも暑かった。 更に言及すれば、ジュリアンが旅立っていった最北の地も今年は気温が高くて、「万年雪が融けて雪崩が多かった」などとジュリアンが手紙に書いてきていた。 北方がこれほど暑いのだから、南方はもっと暑い。 ベアソイル領主のハラルドの便りには、「暑くて仕事をするのが辛い」とあった。 シンビオスは、『だらしない』という形容詞から最も遠い所にいる----はずだった。 しかし、この暑さである。普段はきっちり留めているシャツの第1ボタンを、この夏ばかりは外していた。それどころか第2、更に第3ボタンまで外し、団扇で胸元にばたばたと風を送っている。まことに彼らしからぬ姿態だ。 ダンタレスがすかさず、 「シンビオス様、だらしないですよ」 と注意する。 シンビオスは気怠げにダンタレスを眺めて、 「君だって同じじゃないか」 と言った。 確かに、ダンタレスもシンビオスとご同様、前をはだけて団扇で扇いでいる。 「私はただの家臣ですから。----ですが、シンビオス様は領主であらせられるのですから、あまりみっともない格好をなさっては、領民達に示しが----」 「領主だって暑いんだよ」 いらいらとシンビオスが遮った。この暑いのに、ダンタレスのお小言など聴いていてはますます暑くなる。 「そうですよ、ダンタレス様」 マスキュリンが、努めて穏やかに入り込んできた。彼女は短いタンクトップにミニスカートという、いつも通りの涼しげな格好だ。 「こんな暑いのに、きっちり襟を留めてちゃうだっちゃいますよ。ね、グレイス」 隣にいる親友に同意を求める。 聖職者であるグレイスは、マスキュリンほど露出の多い格好はできないが、長い薄衣を一枚ゆったりと着て、風通しが良さそうである。 「ええ。それに、今日は休日ですし、宜しいじゃありませんか、ダンタレス様」 「う…、まあ、それはそうだが…」 はだけたシャツの間からシンビオスの肌がちらちら覗いて目のやり場に困る、というのが、ダンタレスの本心であった。 「もう、図書室に行って来る」 シンビオスは立ち上がった。この城の中では、北側にある図書室が一番涼しいのである(とはいえ、暑いには違いないのだが)。 相変わらず、ばたばたと団扇を使いながら、シンビオスは廊下を歩いていた。中庭に面した廊下は、窓が大きく取ってあるので日差しが差し込み、暑苦しい。 向こうから、メディオンが歩いてきた。 「あ、メディオン王子、お帰りなさい」 そういえば、買い物があるとか言ってたんだっけ、と思いつつ、シンビオスは声をかけた。 「ただいま」 メディオンはにっこり微笑む。 「外は暑かったでしょう?」 シンビオスは、挑戦するような気分で尋ねた。いつものことだが、メディオンはこの暑さでも涼しげだ。我慢しているのか、それとも本当に暑くないのかは判らない。こちらが暑くてうんざりしているのに独りだけ涼しい顔をされるのは、理不尽かもしれないが腹が立つ。 だが、メディオンは答えなかった。どうやら、シンビオスの質問が耳に入っていないらしい。目線がシンビオスの胸元に固定されている。 「----シンビオス。暑いのは解るけど、はだけすぎじゃないか?」 「解ってるならいいでしょう、言わなくたって」 普段なら従ったかもしれないが、暑さと、先ほどのダンタレスのお説教で、今のシンビオスはいらついている。加えて、メディオンまでも口うるさい、となればつい反抗的になろうというものだ。 「駄目だ」 メディオンもなかなか頑固である。ことに、愛するシンビオスの肌を他人の目に晒すものかと躍起になっているので、シンビオスの言葉も相変わらず耳を素通りしている。 「せめて、第3ボタンは留めてくれ」 厳しい表情で、シンビオスのシャツに手を伸ばしたが。 「…いいんですか?」 シンビオスは言った。どこか媚びを含んだ口調である。 「----え?」 メディオンが手を止める。 「留める前に、全部外してくださってもいいんですよ?」 シンビオスはメディオンを見上げた。その目つき。そして口元に刻まれた笑み。なんともあだっぽい。 くらっときたメディオンは、シンビオスをきつく抱き締めた。そのまま唇を奪う。 シンビオスは、最初はおとなしくしていたが、やがてメディオンの腕の中で藻掻きはじめた。両手で胸を押しやるように、体を引き離す。 「…っは、やっぱり、暑いから嫌です」 「----え?!」 「陽が落ちてからにしましょう」 呆然とするメディオンの横をすり抜けて、シンビオスは廊下を去っていった。 こんな気分で残されたメディオンは、もやもやを吹き飛ばすべく、キャンベルを誘ってこの炎天下に剣術の稽古の励んだ。 結果、すっかり体力・気力共に使い果たし、シンビオスとの約束も果たせなかった。 こんな夏の日々が続き、やがて秋が来た。 しつこかった暑さが、今は鱗片も留めない。 抱き合うにはいい季節になった。 夏の間、たまにしか愛を交わさなかったゆえ----勿論、愛が冷めたわけではなく、暑さに負けたのだ----両者ともかなり萌している。 早く暮れる陽にも感謝しながら、メディオンとシンビオスは熱い日々を取り戻しつつあった。 「シンビオス、ここにお座り」 ソファから、メディオンはシンビオスを呼んだ。 「はい」 シンビオスがメディオンの隣に腰を降ろそうとする。 「違う、こっち」 自分の膝を指しながら、メディオンはその腕を捕まえて引っ張る。 「はい…」 シンビオスは、素直にメディオンの膝に、彼の方を向いて座った。 はにかむような、嬉しそうな、そして紛れもなく欲情しているシンビオスの顔を、メディオンは見つめた。首元に目を移すと、シャツのボタンは一番上までしっかりはめられている。 夏の、シンビオスのはだけた胸元の眩しさを、メディオンは思い返していた。あれも悪くはないが、やはり---- ----やはり、自分の手で露わにしていくのが一番だな… 柔らかい唇に口付けながら、メディオンはシンビオスの第1ボタンにそっと手をかけた。 |