鍛錬のローテーションは、シンビオス軍→メディオン軍→ジュリアン軍だ。従って、今日はメディオン軍の番である。
 昨日と同じぐらいの時刻に、ジュリアンは食堂に行った。今回は酒を仕入れるためではなく、あることを確認するためだった。
 ジュリアンが食堂に入ったと同時に、シンビオスが奥の厨房から出てきた。
「----やっぱりな」
 思わず、ジュリアンは呟いた。
「ジュリアン。…やっぱりって何が?」
 シンビオスが訊いてくる。
「メディオン王子のために何か作ってたんだろ?」
 ジュリアンは手近な椅子に腰掛けた。手振りで、シンビオスにも座るように促す。シンビオスは素直に従った。ジュリアンの向かいに座って、
「杏仁豆腐をね。今固めてるところだ。----ついでに、君の分も用意しておいたよ」
 『ついでに』の部分に力を込めて言う。
 そんな皮肉に堪えるジュリアンではない。
「そりゃどうも」
 わざとにこやかに頭を下げてみせた。
 シンビオスは半ば呆れたようにジュリアンを見た。皮肉の通じない奴、とでも思ったのだろう。
「----で? 今日もウオツカ? それともブランデー?」
 続けて皮肉る。
「今日は休肝日だ」
 ジュリアンは真面目な顔で答えた。
「は?」
 シンビオスは、今度は目を丸くして、
「じゃあ、なんでここに来たのさ」
「おまえがいるかどうか、見に来た」
「は? ----暇なんだね」
「毎日菓子を作りっこしてる奴に言われたくねえな」
「毎日じゃないよ」
 シンビオスはむっとした顔で反論した。
「二日置きに休んでるよ」
 二日置き=ジュリアン軍の鍛錬の日だ。すぐにそうと解ったジュリアンは、真面目な顔から一変、揶揄する笑みを浮かべて、
「確かになー。一緒に休む日に、菓子なんて作ってる場合じゃないだろうな。他にヤることが沢山あるだろうし」
 さっきの皮肉のお返しに『ヤること』にわざと含みを持たせる。
 シンビオスはみるみる紅くなった。
「な、なんのことだよ」
「おまえ自身が一番判ってんだろ」
「……………」
「そう睨むなよ。おまえ、すぐむきになるな」
 ジュリアンはくすくす笑った。
「君は、すぐ人をからかうね」
 シンビオスはまだ少しご立腹のようだ。固い声からもそれが窺える。
 さすがに、ジュリアンもやりすぎたかと思った。メディオンなら大人の余裕で流すことも、シンビオスは突っかかってくる。大人なようでまだ子供っぽい所も残っているのだ。あまり怒らせては、菓子を分けてもらえなくなるかもしれない----というのは半分冗談だが。鍛錬はまだまだ続く。ぎすぎすした雰囲気で過ごしたくはない。
「悪かったよ。----あんまり幸せそうだから、ちょっとからかいたくなっちまったんだ」
 ジュリアンは本心を少々誇張して言った。二人の幸せを邪魔するつもりもないし、悪意を持っているわけでもない。ほんのちょっと羨ましいと思ったのも事実だ。----ただ、恋愛状態で浮かれた様子なのが面白かっただけである。
「…まあ、別にいいけどね…」
 シンビオスはジュリアンの言葉を信じたようだ。途端に怒りが削がれる。これを単純と見るか素直と見るかが、ジュリアンとメディオンの違いだろう。
「ま、なんにせよ、人を好きになるのはいい気分だよな」
 シンビオスの機嫌を更に直させようと、ジュリアンは柄にもないことを口にした。少なくとも、自分では柄にもないと思っていた。違和感を覚えながらも、ジュリアンは言葉を繋いだ。
「なんかこう、音楽が聞こえてくるみたいな」
 ここでやっと、昨日のメディオンの台詞を無意識になぞっているだけだ、と気付いた。酷く決まりが悪い。シンビオスの驚愕の表情を見れば尚更だ。
「…な、なんだよ、その顔は?」
「いや。----君からそんな台詞を聴くなんて思わなかった」
 シンビオスは驚きを通り越して、呆然としている。借り物の台詞だから当然の評価だとしても、
「どういう意味だよ?」
 ジュリアンは訊かずにいられなかった。一体こいつは自分のことをどういう風に思っているのか、という興味もあった。
「あ、いや、…君はもっと散文的な人だと思ってたから…」
 遠慮のないシンビオスの評価に、ジュリアンは笑ってしまった。
「『散文的』とはよく言ったな。----まあ、さっきの台詞は王子の受け売りだし、そう言われても仕方ねえか」
「あ、そうなの?」
「そうだよ。…俺があんな恥ずかしい台詞、自分で思いつくかっての」
 そういう意味では、『散文的』とは言い得て妙である。ジュリアン自身も認めざるを得ない。
「そうか。----うん。メディオン王子の言葉なら、しっくりくるな」
 シンビオスは納得した様子で頷いている。惚気ているとも取れるその台詞を聴いて、ジュリアンはまたからかいたくなってきた。
「おまえもか? おまえも、王子といると音楽が聞こえるのか?」
 だったら二人で病院に----と、メディオンに言ったのと同じことを言って、シンビオスの反応を見ようと思ったのだが、
「別に聞こえないよ」
 あっさりと否定されてしまった。
「そ、そうか。----じゃあ、どんな気分になるんだ?」
 気を取り直して尋ねる。
 シンビオスはどう言おうか考えている様子だったが、やがて、思いもかけないことを言い出した。
「----結婚式でね」
「…あぁ?」
 まったく予想外の台詞に、ジュリアンは胡散臭げな声を出してしまった。しかし、シンビオスは昨日のメディオンとまったく同じ表情のまま、
「『病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも』って誓うだろう? ----あんな気分なんだ。王子といると、些細なことでも凄く幸せに感じるし、逆に辛いことは簡単に乗り越えていける。何もかも分かち合えるんだ」
「はあ、なるほどね」
 盛大な惚気に、どう突っ込もうかジュリアンは咄嗟に思いつかなかった。まずは軽く受けておいて、
「ああ、だから菓子も分かち合うのか」
 どうもいまいちだ、と自分でも思った。逆に、シンビオスに突っ込まれそうだ。
 だが、そこがシンビオスのシンビオスらしいところで、
「そう。その通りだよ。それでメディオン王子が喜んでくれれば私も嬉しいんだ」
 真面目な顔で頷く。
「……………」
 ジュリアンは何も言えなかったし、また、言おうとも思わなかった。こんなに脱力した気分は初めてだ。もう二度とシンビオスをからかうものか。ジュリアンはひっそりと溜息を吐き出したのだった。


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