メディオンは、アスピアの人々に頭を下げていた。理由はどうであれ、皇帝をアスピアまで連れてきたのはメディオン軍だ。
 対して、アスピアの人々は、この気の毒な第3王子を責めなかった。彼がどうして皇帝と共に進軍する羽目になったのか聞き及んでいたし、それに対して同情もしていた。
 だからこそ、メディオンにではなく、その背後で彼を操っていた人にこそ謝ってほしいのだが、それは絶対あり得ないとも知っていた。メディオンの立場が悪くならないように、彼の謝罪は彼個人のものとして、アスピアの人々は理解し、受け入れた。
 メディオンが最後の家を出ると、そこにはシンビオスが立っていた。
「シンテシス殿から伺いました」
 眉を寄せた苦しげな表情で、シンビオスはメディオンを見ていた。
「…メディオン様、私は先に戻っています」
 メディオンにだけ辛い思いはさせまいと、一緒に付いてきていたキャンベルがそっと耳打ちして、シンビオスに頭を下げて去っていく。シンビオスも軽く黙礼を返した。
「----少し歩こうか、シンビオス殿」
 メディオンはそう声をかけて、ゆっくりと歩き出す。
「…大丈夫なんですか?」
 俯いたままメディオンの隣を歩きながら、シンビオスは言った。
「あなたが謝罪したなんて皇帝が聴いたら…」
「きっと容赦しないだろうね」
 メディオンはシンビオスの言葉を引き継いだ。
「でも、自分や父や兄がしたことで、この国の人達が受けた傷を考えたら…。許してもらえるかどうかは別として、どうしても謝りたかったんだ」
「あなたは何も悪くありません。あなただって辛い思いを…。皇帝はあなたにこそ詫びるべきです。自分の息子に対して、あんな卑劣な真似をするなんて!」
 まるで我がことのように、シンビオスは憤慨している。その正義感の強さこそ、メディオンが愛して止まない所だった。特に、今回はメディオンのために怒ってくれている。嬉しさもひとしおだ。
「ありがとう、シンビオス殿。君のその言葉だけで、報われた思いだよ」
 穏やかに微笑むメディオンの横顔を、シンビオスはちらりと眺めた。本当に、この王子様はなんてお人好しなんだろう。でも、そういうところに、シンビオスは惹かれるのだ。
 メディオンはシンビオスが好きで、シンビオスもメディオンが好き。このことを、お互いが知っていた。あとは、はっきり言葉にして確認すればいいだけだ。
 明日になれば、シンビオスは北の地に、メディオンは一度帝国に行かなければならない。しばらく会えなくなるだろう。今しかない、とメディオンもシンビオスも思った。
 二人は、同時に足を止めた。
「……………」
「……………」
 無言のまま、しばらく見つめ合う。言葉にしなくても解っていることなのに、実際に言葉にしようとすると、こんなにも緊張するのは何故だろう。目を逸らすこともできないまま、次の言葉を待つ。
「----あ、あのね、またしばらく会えなくなるから」
 メディオンがやっと口を開いた。喉がからからになって、巧く声が出ない。シンビオスに変に思われないかと、気が気ではなかった。
 しかし、その心配は無用だった。
「は、はい」
 と応えたシンビオスも、この激しい鼓動がメディオンに聞こえないかと、そればかり気にしていたからだ。
 瞬きさえ忘れて、二人は見つめ合っている。
 メディオンは大きく息を吸った。
「…シンビオス殿、私は----」
 子供の激しい泣き声が、メディオンの言葉をかき消した。
 我に返って辺りを見回す。二人のすぐ傍で、5歳くらいの子供が座り込んで泣いていた。膝から血がかなり出ている。瓦礫につまずいたらしい。
 シンビオスが、急いで駆け寄った。
「大丈夫? ほら、すぐに痛くなくなるからね」
 あやしながら、薬草を子供の傷に塗る。
「坊や! 大丈夫?」
 母親が駆けてきた。
「あれほど、走り回っちゃいけません、って言ったでしょう? 今は、色んなものが落ちてて危ないんだから」
「ごめんなさい」
 子供は目を擦りながら立ち上がった。
 母親は子供を抱き上げると、
「シンビオス様、ありがとうございました」
 シンビオスに頭を下げる。
「ありがとうございました」
 子供も、母親の腕の中で言った。
「いいえ。お大事に」
 シンビオスは微笑んで、子供の頭を撫でた。
 母子が去っていくのを見送って、シンビオスは、傍まで来ていたメディオンに向き直った。
「すいません、メディオン王子。話の腰を折ってしまって」
「いや」
 さっきまでの緊張感が嘘のようだ。メディオンは、なんだか気が抜けてしまった。
「----北の地はもう冬だろうね。今の子供みたいに転ばないように、私に雪道の歩き方を教えてくれないか、シンビオス殿」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「----で、どうなったんですか?」
 キャンベルが尋ねる。気の毒そうでもあるし、笑いを堪えているようでもあった。
「うん。教えてもらったよ。転ばない歩き方をね。そのあと店に行って、冬靴とか厚手のコートとか選んでもらった。なにしろ、全然持ってないから」
 メディオンは浮かない顔で、温かいミルクティを口にした。
 キャンベルは頷いて、
「確かに、我々は薄手の物しか持ってないですからね。帝国仕様の冬物で北の地に行ったら、凍えてしまうでしょうなあ。…で、肝心な話の方は…」
「時間切れだよ」
 メディオンは頭を振った。
「ああ、なんて馬鹿なんだ、私は! すっかり気が抜けてしまって、本当に伝えたいことを言わずにおくなんて。きっと、シンビオス殿も呆れてるだろうな」
 キャンベルは慰める言葉も見つからず、黙って主の肩を叩いた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 空になったシンビオスのカップに紅茶とミルクを注ぎながら、
「メディオン王子がシンビオス様のことを好いてくださっているのは解ってますし、シンビオス様が王子を好きなのを、王子の方もご存じのはずなのに…。全然進展がないのも変な話ですね」
 ダンタレスは言った。
 シンビオスは溜め息をついて、
「もう少しだったんだけどね。----ああ、それとも、王子が私のことを好きだなんて、私の勘違いかも知れないな。そんな気がしてきた」
「大丈夫ですって! 王子がシンビオス様のことを好きなのは、子供が見ても判りますから」
 ダンタレスは力強い口調で請け負う。
「王子が言ってくれないなら、シンビオス様の方から仰ったらよかったんですよ」
「そうなんだよ。今になって、そう思ってる。でも、そのときにはそんな雰囲気じゃなかったんだ。なまじ、それまでが盛り上がってただけに、一度気を削がれたら立て直せなくて。…でも…!」
 シンビオスはテーブルに突っ伏した。
「ああ、またしばらく会えなくなるんだから、はっきりさせておけばよかった。雰囲気がどうとか気にしないで、言えばよかったんだ。私はなんて馬鹿なんだろう!」
 ダンタレスは主の頭を撫でて、
「また次の機会がありますよ」
 と優しく慰めた。


HOME/MENU