だんだんと日が短くなり、朝晩の気温が下がってくる。 あれだけ喧しかった昼間の蝉の声がぱたりと止んで、驚く程冷たくなった風の音がやけに大きく聞こえる。 冴え冴えとした空に月が冷たく光り、世界を青白く照らし出す。 こんな長い夜はどことなくもの悲しく、人恋しくなる。 従って、ベッドの中で、シンビオスはいつもよりぴったりとメディオンに体を寄り添わせていたし、メディオンもまた、シンビオスの体をしっかりと抱き締めていた。お互いの心臓の鼓動が感じられる程、隙間なく抱き合っている。 「----子供の頃は、こんな夜にはいいようのない寂しさに襲われたものだよ」 シンビオスの髪を撫でながら、メディオンは言った。 「王宮に連れて行かれる前までは母がいてくれたけど----、あそこでは頼れるのはキャンベルだけだったしね」 だが結局、もう10歳にもなるのに一人で眠れないなど恥ずかしいし、何より父に知られたら、 「そんな情けない者に跡を継がせられるか」 なんて言われて追い出されかねない。更に、もし異母兄達の耳にまで届いたら、より一層馬鹿にされてしまうだろう。そう思って、メディオンは我慢した。枕をぎゅ、と抱き締め、掛け布団を体に巻き付けるようにして、体を丸めて眠ったのだ。 「----よく我慢できましたね」 シンビオスが優しい口調で言って、メディオンの頬に軽くキスした。 「こんな夜は大人だって寂しいのに…。ましてや子供なら尚更だと思いますよ」 ぼくならきっと、迷うことなく姉やダンタレスの所に行っていた、とシンビオスは付け加えた。 「そんなに良く言われると、困ってしまうな」 メディオンは苦笑した。 「その夜は結局我慢したけど、また別の夜にはどうしても耐えられなくなって、キャンベルの部屋に行ってしまったんだ」 「あ、そうだったんですか」 シンビオスも笑う。 「----ああ、いや、そうじゃないな…」 メディオンは遠い目をして記憶を探った。 「キャンベルの部屋に行こうとして廊下に出たら、----兄上の部屋のドアがいきなり開いたんだ」 「兄上…、…って、どちらの?」 「----アロガント兄上だ」 王宮に連れてこられてまだ日も浅いが、子供の本能からか、メディオンは誰が敵で誰が味方かの区別は付くようになっていた。 一応表面上は敬意を払っている使用人達でも、内心では見下しているのか、それとも本当に好意的かくらいは判る。 探るまでもなく顕著なのは、二人の異母兄だ。黙っていても感じる。メディオンをあからさまに疎んじているのだ。 だから、外開きの扉をいっぱいに開けて、メディオンの行く手に立ちふさがるアロガントの姿----部屋から漏れる灯りで、薄暗い廊下を覆うように影が伸びている。その姿は、心細さを抱いているメディオンにとってはまさに恐怖そのものだった。広い廊下だ。端に避ければ通れる余裕があるのだが、アロガントの影に踏み込んだら最後、どこかに呑み込まれてしまいそうな気がして、メディオンは一歩も動けなくなった。 「----こんな夜中に、何をしている」 アロガントは、いつもの冷たい口調で訊いてきた。 「……あ、あの…」 メディオンはなんとか、掠れた声を絞り出した。答えなければまた嫌味を言われる。だが、正直に答えてもやはり皮肉が飛んでくるのは解っていた。 「…の、喉が渇いたので、水を飲みに行こうと思って…」 アロガントが微かに片眉を上げた。 「水差しは?」 各自の部屋には、水のたっぷり入った水差しがちゃんと用意されているのだ。勿論、メディオンのベッドサイドにも存在する。 「あ、…えっと、水が入ってなかったんです」 たまに、メイドが忘れたのか、それとも故意にか、水差しが空っぽという事態が何度かあった。今夜はちゃんと入っていたのだが、メディオンはそう答えた。 「ふん。寝るときに気付かないとは、おまえはやはり間抜けだな」 アロガントが冷笑する。 「す、すいません…」 縮こまるメディオンの細い腕を、アロガントは無造作に掴んだ。 「----?!」 驚愕と恐怖で固まってしまったメディオンの体を、アロガントは部屋の中に引きずり込んだ。 「----飲み物なら、ここにもある」 アロガントの言葉通り、テーブルの上には色とりどりの小瓶が並んでいる。 「カクテルを作っていたのでな。----アルコールはおまえにはまだ早いが、ジュースならいいだろう」 メディオンから手を離して、アロガントはテーブルに歩み寄った。 メディオンは何となく掴まれた腕をさすっていたが、アロガントがこちらを振り向きそうなのを見て、慌てて止めた。 「----どれにする? それともこの時間なら、ミルクの方がいいか」 「え、あ…」 「早く答えろ」 「あ、はい、すいません! ----じゃあ、ミルクを…」 アロガントは、空いていたグラスにミルクを注いで、メディオンに差しだした。 「----頂きます」 最初はでまかせだったとはいえ、緊張から本当に喉が渇いてしまっていたメディオンは、それを一気に飲み干した。 「旨かったか」 今まで聞いたことのない台詞が、アロガントの口から漏れた。口調は相変わらず冷たかったが、メディオンは嬉しかった。 「はい! ----ごちそうさまでした」 深々と頭を下げる。 メディオンの手からコップを引き取ると、アロガントは、 「では、もう休め」 素っ気なく、開けっ放しのドアに向けて顎をしゃくる。 「はい。ありがとうございました、兄上」 ドアを閉める直前、メディオンは、 「----アロガント兄上、お休みなさい」 そっと言ってみた。 ああ、と応える声が聞こえたが、あるいは願望から来るメディオンの空耳だったかもしれない。 その晩、部屋に戻ったメディオンはぐっすり眠れた。 翌朝、改めてアロガントにお礼を言おうとしたのだが、結局はいつも通り冷ややかな目つきで見据えられて、メディオンは声をかけるどころか近寄ることすらできなかった。 「----アロガント兄上が親切にしてくれたのは、あれが最初で最後だったな」 メディオンは楽しげに微笑んだ。 「そのあとはいつも通りの態度で----夢だったのかあるいはただの気紛れか、と私も暫く悩んだよ」 「もしかしたら、アロガント殿は、メディオン王子のことをそれほど嫌いじゃなかったのかも知れませんね」 穏やかに言うシンビオスが愛おしくて、メディオンはその柔らかい唇に口付けた。 「----君がそう言ってくれるのは嬉しいけど、それは絶対ないと思うよ」 「…そうでしょうか」 「うん」 共通する点が一つもなくて、共感できるところもなくて、きっと一生嫌われたままだろうからと好かれる努力もしなくて、やはり解り合えないまま逝ってしまった兄----そんな兄の気持ちが、今ならよく解る。 きっと、あのときは兄もただ「人恋しかった」のだ。 そう思ったら、なんだかますますもの悲しい気分になってきて、メディオンはシンビオスを一層強く抱き締めた。 「…王子、苦し…----」 言いかける唇を、唇で塞ぐ。 そう、こんな人恋しい夜には、なかなか眠れないものだ。独りでは寂しくて、そして二人では----つい温もりを求めてしまって。 |