----空を飛んでみたいな… 所々に白い雲の浮かぶ青い空を見上げて、小さなシンビオスはそう思っていた。この空のどこかに、きっといるに違いない。彼が今一番逢いたい人が。 下の方で、誰かの悲鳴が聞こえた。 「----ビオス! シンビオス!」 呼ばれて、声のした方を向く。姉が真っ青な顔でこちらを見上げていた。 「姉さま」 シンビオスは手を振ったのだが、 「動かないで! じっとしてらっしゃい!」 姉は振り返してくれなかった。それどころか、怒っているようだ。 「マーガレット様、私が連れて降りてきますわ」 姉の横にエルダーがいたのに、シンビオスは初めて気がついた。よく見ると、ダンタレス、マスキュリン、それにグレイスは勿論、城中の人達が集まっているようだ。何か楽しいイベントでもあるのだろうか。 シンビオスはよく下を見ようと、身を乗り出した。途端に、みながどよめく。 「シンビオス様! 動いてはいけません!」 ダンタレスが強張った顔で叫ぶ。 エルダーが翼を羽ばたかせて、シンビオスの所----屋根の上へと飛んできた。 「エルダー、どうしてみんな集まってるの? 何かあるの?」 自分がこの事態を引き起こした原因であることに、シンビオスはいまだに気付いていなかった。 総ては、シンビオスの安全を確保してからだと考えたエルダーは、咄嗟に機転を働かせて、 「ええ、シンビオス様。今から中庭で、みんなでティーパーティをするんですよ」 と答えた。それが聞こえた料理人やメイド達が、慌てて城の中に入っていく。と、見る間にテーブルが運ばれてきて、お茶道具をセットしはじめた。 「本当だ!」 目を輝かせるシンビオスの小さな体を、エルダーはしっかりと抱き締めた。 「じゃあ、もう下に降りましょうね」 ふわり、とみなが見守る中に降り立つ。 「ああ、シンビオス!」 マーガレットが駆け寄って、エルダーから幼い弟を受け取った。安堵の吐息と共に、きつく抱き締める。 「なんで屋根に登ったりなんかしたの? 駄目じゃないの。危ないでしょう、もし落ちたりしたら…」 「ごめんなさい」 シンビオスは素直に謝ったあと、姉の顔をじっと見つめた。 「でも、姉さま、『母さまはお空の上にいる』って言ったでしょう? ぼく、お空に近い所に行ったら母さまに逢えると思ったんだ」 みな、それ以上怒るに怒れなくなってしまった。切なげに顔を見合わせる。 そのとき、エルダーがそっとマーガレットに何かを耳打ちした。マーガレットが頷く。 エルダーはシンビオスの前に屈み込んで、彼に目線を合わせると、 「シンビオス様、お茶会の準備ができるまで時間がありますから、ちょっとお空を散歩しましょうか」 「いいの?」 シンビオスは姉を見た。マーガレットが微笑んで頷く。 「嬉しいな! エルダー、うんと高く飛んでね!」 と言って、シンビオスはエルダーに抱きつく。エルダーもシンビオスを落とさないようにきつく腕に抱いて、上空へと舞い上がった。 「----気持ちいい!」 シンビオスはすっかり御満悦のようだ。 「エルダーはいいね。いつもこんなふうに飛べるんだもん」 「寒いときには辛いですけどね。でも、やっぱり飛ぶのは気持ちいいですよ」 「うん、お空ってちょっと寒いんだね。----ねえ、母さまも寒いのかな? 『お空の上』って、ここよりももっと上のことでしょう? だったら、もっと寒いのかな?」 「シンビオス様のお母様のいらっしゃる所は、ここよりもずっと暖かい所ですよ」 エルダーは優しく答えた。 「お空の上には特別なお国があってね、そこは綺麗で暖かい所なんですよ。そこで、デイジー様はシンビオス様のことを、ずっと見守っていてくださっているのです」 それで安心するかと思いきや、シンビオスは泣きそうな表情になった。 「どうして母さまは、そのお国にいっちゃったの? どうしてぼくと一緒にいてくれないの? ぼくのこと、嫌いになっちゃったのかな…」 「シンビオス様…」 エルダーはシンビオスの髪を撫でた。 「デイジー様は、シンビオス様のことをお嫌いになんてなっていませんわ。ただ、そのお国の王様----神様に呼ばれてしまったんです。本当はデイジー様だって、シンビオス様と離れたくなかったのに…」 そう言って、エルダーは涙を零す。シンビオスはびっくりした。エルダーが泣くなんて思ってもみなかったのだ。それも、自分が言ったことが原因らしい。 「エルダー、ごめん、ごめんね、泣かないで」 シンビオスはエルダーを慰めようと、彼女の首に頭を擦り付けた。 「ご、ごめんなさい、シンビオス様。シンビオス様のせいじゃありませんわ。----デイジー様のことを思い出してしまって…」 エルダーは涙に濡れた目で笑ってみせた。 「エルダーも、ぼくの母さまのこと好きなの?」 「ええ、大好きですわ」 「そっか。嬉しいな。みんな母さまのこと好きなんだね」 シンビオスは声を弾ませて、 「じゃあ、きっと神さまも、母さまのこと好きだから呼んだんだね。だったら、大丈夫だよね? 神さまが母さまのこと、もう苦しくないようにしてくれたよね?」 エルダーは言葉に詰まった。病床についてからというもの、デイジーは日に日に痩せていき、辛そうにしていた。ただ、幼いシンビオスだけにはそんな様子を見せないように、彼女自身も周りの者達も充分すぎるほど気を遣っていたのだ。しかし、子供特有の鋭さで、シンビオスは勘付いていたのだろう。母親の様子がだんだんと変わっていくことに。 シンビオスは不安そうにエルダーを見上げて、彼女が答えるのを待っている。 「…ええ、デイジー様はもう苦しくないですよ、シンビオス様。----神様は、デイジー様を助けるために呼んだんですから」 シンビオスはほっと息を吐いて、にっこり微笑んだ。 「よかった! 母さまがもう苦しくないなら、ぼく、母さまがいてくれないのも我慢するよ。----神さま、ぼくの母さまのこと、助けてくれてありがとう!」 シンビオスの声が青い空に吸い込まれていく。エルダーは涙を零してまたシンビオスに心配をかけないように、ずっと上を向いていなくてはならなかった。 |